ラットフィンクとは?
ラットフィンクの歴史は意外と古く、実際に世界に初めて登場したのはなんと
1963年!!
ポッコリ出た中年ボディに体中シワシワで体毛まみれ、加えて極めつけにはハエと友達でして、お世辞にもキレイとは言えないどうしようもない奴。
そんな容姿だけれども、真っ赤でチャーミングなオーバーオールを身に付けています。
いわゆる中年ゾンビマウスな彼、だけど、なんと?なんと!ミッキー〇ウスの父親らしいんだわ。ディズニー公認ではないものの、実際にある嘘のような本当の話。
気持ち悪いねずみにドキドキした学生時代。当時は超個性的だった「ビレバン」を巡った自身の学生時代を思い出します。
ラットフィンクの誕生は、有名なピンストライパー Ed “Big Daddy” Roth(エド “ビッグ ダディ” ロス)が、「ミッキーマウスの親父ってきっと こんな感じだったんだぜ。」と友人とふざけながら落書きした何気ない出来事がきっかけなんだそうで。
次項ではラットフィンクの生みの親、変人エド・ロスを掘り下げます~
エド”ビックダディー”ロス / Ed “Big Daddy” Roth
1920-2001年(69歳で病死)
12歳で車を運転し、14歳で自身の車(1933 ford coupe)を手に入れる。
※アメリカでは14歳から免許取得が可能らしい。環境格差!
1951-1955年 空軍に入隊
入隊中に数台の車を所有。4度の結婚して子供を5人授かっていました。超イケイケ!!(笑)
比較的に家族が多く家計が苦しかったエド、退役後もフルタイムでせっせと働きまくります。
忙しい中でも夢は諦めきれず「自分の思い描く理想のクルマに乗りたい!」と彼は少ない時間を車に費やし、ガレージにある簡単な工具と廃車置場にあるスクラップパーツを使い、世界でたった1台しかない自分だけの理想のクルマを創り続けます。
いろんな制限の中で作り上げたホットロッドの第一作目はこちら。
「OUTLAW/アウトロー」
エドのホットロッド、初号機!
神々しいです✨
限られた予算内でより理想に近づけるためにグラスファイバーを使用。
彼の思い描く独創的な流線形のボディーラインを表現することに成功します。
当時のボディといえばスチール製が主流だったため、自動車業界での超革命だったそうです!!
彼の影響で、夢追い人のカスタムビルダーが増加したのは言うまでもないでしょう!
「BEATNIK / バンディット 1960」
代表的な、2号機!!
「Rotar /ローター 1962 」
話題の3号機!!もはやUFOに見えます👽👽👽
車の概念を軽く超越してしまう、恐るべきエドロスの妄想力。
ラットフィンクの誕生
新たなホットロット製造のため、週末は CAR SHOW に出向き、得意のイラストで資金稼ぎをしていました。
オリジナルTシャツを販売していたエド。
あまりにも独創的な絵柄で異彩を放っており彼のブースは大人気!
中でも一番人気だったのが「ラットフィンク」🐀💚不良少年の心をつかみ、アンダー・グランド・カルチャーのシンボルに早々と昇格。
その後の1963年頃にはカリフォルニア州にショップをオープンし、クルマのカスタム・オーダーとラットフィンクグッズを販売する会社を経営!!
エドロスの全盛期がスタートします💰💰💰
世界的人気とななったのは、カスタムカーというよりもラットフィンクのおかげらしい。人生何があるか分かりませんねぇ。
いち早くラット・フィンク・ブームに目をつけたアメリカのプラモデルメーカー”Revell”社
エドのカスタムカーをプラモデルとして発表しそれも大ヒット!
エドロスの情熱は世界を動かしました!かっこいい~
まとめ
ラットフィンクの生みの親だけど、エド・ロスはあまり知られていないですよね。
記事を書くのにめっちゃ調べたけど、エドが思ったよりクレイジーな変人で更に愛おしくなりました。
文章に起こすのがとにかく苦手で、記事を書く前に一度音声で録音します。
そっちの方が分かりやすいかもしれないので参考までにUPしておきますね(^^;)
最後までお付き合いありがとうございました!
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